R_yu’s diary

吃音者のために

#12 吃音者なのにプレゼンが好きな理由

ご存知の通り、私は吃音難発型だ。

しかし、私はプレゼンを行うことが好きだ。

もちろん人の前で話すことに抵抗は少しある。

詰まったらどうしよう、吃った時みんなの反応はどうなんだろう、とよく想像しては、しんどくなる。

 

私は幼少期から吃音で悩んでいて、どうすれば人と話せるようになるのかを考えたところ、語彙力を上げることだった。決して治そうと努力をしなかった。吃音と向き合いながら、生きていこうと思っていた。

 

私が目標にしていたことは、一つの物を、3通り以上の言い方で言えるようになることだった。

簡単な例えで言うと、母。お母さん、母ちゃん、親、と、母のことを言いたいときに何通りもあれば、自分の言いやすい言い方で吃らずに言える。

 

あらゆる物の別の言い方を考えて語彙力をつけた結果、台本がないプレゼンや発表、人との日常会話で困ることはなくなった。

 

プレゼンでは毎回、台本は作らない。スライドを作り、準備は終了。あとは本番でどう喋るかは、その日の気分で決めている。

 

吃音症の私たちにとって、吃ることより、吃ることを予測し、心配、不安になることがしんどい。

このプレゼンではこう言おう、このページではこう言おうと考えてしまうと、逆にプレッシャーになる。

吃音症の私たちにとって準備は必要不可欠なものだと思っている人も多いと思う。

ぶっつけ本番とまではいかないが、吃音症の私たちにとって準備しすぎることはあまりよくない。

 

是非試してもらいたい。意外と特訓も要らず、気持ち的に楽になれると思う。

 

 

 

 

#11 吃音者の私にとっての神店

コンビニで食べたいものを注文できない。

マクドでも食べたいものを注文できない。

どこに行ってもそうだ。

毎日そんな日々が続く。

私はあ行が苦手なこともあり、マクドナルドに行くことは苦痛でしかない。

ポテト、ドリンクにはサイズが割り振られていて、S、M、L。どれも言えない。

だから極力注文しなければならない所には行かない。食べたいと思っても、行くことが難しい。

 

しかし、新型コロナウイルスの影響で注文方法を変えた店がある。

サイゼリヤだ。

サイゼリヤでは、メニューに書かれている番号を紙に書いて、店員に渡すと、それで注文完了になる。

今まで頼めたかった物を食べることができた時の嬉しさは今まで味わったことがなかった。

 

コロナがこの社会を生きにくい社会にした分、私たちにとっては生きやすくなっている部分もあることに気づいた。

 

社会はどんどん変わってきている。

私たち吃音者にとって生きやすい社会も、もうそこまで来ているのかもしれない。頑張ろう。

 

 

 

 

 

#10 吃音ってなに?どんな悩みを持っているの? その1

吃音症の人は、スムーズに話せません。

しかし言いたいことは全て頭の中にあります。

思っていることを「声」として、人に伝える能力に欠けています。

詰まってしまったり、同じ文字を繰り返して言ってしまったり。常人には考えられない悩みを持っています。

なぜスムーズに話せないのか?

私たちにもわかりません。

わかりやすく例えると、喉にふたをされたような感じです。

さらに、いつ、どのタイミングでふたをされるのかは私たちにもわかりません。

 

私たちは緊張していません。慌ててもいません。

どれだけ話すことが好きで、コミュニケーションを取るのが好きでも、吃る(言葉に詰まったりしてしまう)のです。

 

次の回に詳しくお話しします。

 

まず知っておいて欲しいのは、普通に話したくても努力量じゃどうにもならないということ。

これだけを知っておいてください。

 

 

 

 

#9 初めて私と同じ吃音者と出会った日

20年間、吃音の問題を1人で抱え込んできた。

相談できる相手は2、3人ほど、それでも完全には理解してもらうことは難しい。

そんなある日、カリフォルニア出身の外国人の先生と出会った。

彼はスピーチの仕事もしていて、人の前で話すことが好きなんだそうだ。

 

吃音者なのに。

 

今まで見たことがなかった。吃音で悩んでいるにもかかわらず、人の前で話すことが好きな人を。

私は自分の視野の狭さにショックを受けた。

吃音者は全員、人前で話すことを嫌うものだと思っていた。

私たちにとって、自己紹介、プレゼンテーション、ディスカッション、そういった類の話す機会は出来れば避けたいと考えると思う。

 

彼は違った。話すことを仕事にし、日常的に人と話す。とても楽しそうだった。

私は彼と出会い、考え方が変わった。

吃ったから何だ。時間がかかったから何だ。

これが私たちの話し方であり、誰にも指摘される筋合いはない。話したいことを瞬時に話せることが偉いわけでもない。

 

最後に彼の言葉を使わせて欲しい。ぜひ皆にも知っていて欲しい。

 

私たちを理解しようとしない人に、価値はない。

安心して。私たちが吃ることによってコミュニケーションが取りにくいと言う人は、元からコミュニケーション力に欠けている。心配することはない。

私たちほど、人と話すために頭を使い、試行錯誤している人種は他にいない。

私たちは恵まれていなかったのかもしれないが、他の人には悩めない悩み方をできる。

そこから私たちにしかわからない考え方、発想、お互いを大事に思う力、言葉ではわからない情報の受け取り方を学べる。決して人生を諦めず、何が起こるかわからない毎日を楽しんでいこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#8 周りに理解してもらえない吃音者の方へ

「吃音?落ち着いて話せば大丈夫」

何度も何度も言われ続けた。慌ててるわけではない、緊張してるわけでもない、でも、詰まる。

 

どう説明すればいいのだろうか。

声が出にくい。話しにくい。これじゃ到底理解してもらえないと、私は経験上こう思う。

 

あくまで私の個人的な意見なので、これが正解ではないということは先に言わせて欲しい。

 

周りが知っているハンデで例えればいい。

 

「足が不自由な人に走れと言うの?落ち着けば足が動いて、走れるって言いたいの?」

「水泳が苦手でいつも溺れる人に、いいから泳げ、と言うの?落ち着けば泳げるって思ってるの?」

うつ病で悩んでる人に、頑張れば克服できるって言えば解決すると思ってるの?」

 

「声を出したくても出せなくて悩んでる人に落ち着けば大丈夫って、どう言う根拠?さっき(上の3文)の人との違いはなに?」

 

こう言えばいい。私は、謎の根拠で説得してくる人にこう言って打ち勝ってきた。

 

私は論破癖があり、心も汚れているのでこのような手法を愛用してきたが、もっといい方法があれば教えて欲しい。

 

吃音者同士、今後の私たちの生活のため、立ち向かっていこう。

 

話せるスキルが人の価値を決めるものではない。

あなたの価値はあなたが決めればいい。

 

参考になれば嬉しい。

私は明日も就職活動の最終面接。

楽しんでくる。吃っても言いたいことを言ってくる。

 

 

 

#7 あえて話す機会を作る。理解を得る。

今回は少し長くなってしまったが、是非読んで欲しい。

 

もちろんご存知の通り、吃音者にとって話す機会は無い方がいい。むしろ機会があればあるほどストレスが増し、精神的に辛くなるだろう。

 

高校の時、プレゼンテーションの授業が多かった。毎回が地獄で、グループでするときはいつもセリフを少なくしてもらっていた。グループでするのはありがたい。気持ち的に楽だった。

 

ある日、個人でプレゼンをする試験があった。

周りのみんなは、台本を読み、必死に頭に内容を入れる。私は絶望に駆られ、台本を作らなかった。

結果、台本を作らない方が話しやすいことに気が付いた。アドリブだと、その瞬間の言いやすい言葉を繋げ、あたかも吃音者ではないように、すらすらと話せるのだ。

その時から、みんなの前で話すことが好きになった。まだしっかりと話せないにも関わらず。

 

高校卒業後、私は外国語学系の専門学校に入った。

私の通っている学校は、週約15コマあるうち、10コマは話す授業だ。

正直、辛い。恥をかくことや劣等感を感じることがほぼ毎日のようにある。

1年が経ったころ、私はクラスメート、授業担当の先生全員に吃音者であることを打ち明けることにした。その瞬間から皆んなの理解や配慮ができ始め、とても学校生活が楽しくなったのだ。

 

カミングアウトが必ずしも正解とは言えない。私のいる環境では、たまたまカミングアウトが正解だった。

吃っても馬鹿にする人はこのクラスにはいない。

先生に問題を当てられた時、詰まってしまって何分経とうと、茶化すものはいない。

どうしても言えない時、「代わりにこの問題を答えてもいいですか」と聞くと、快くOKしてくれる。

プレゼンテーションの直前。「やっぱりこの言い方に変えてもいい?」とグループの友達に言うと、絶対に嫌とは言わず、「どんな言い方に変わってもいいよ!どの言い方も無理だったら、内容を変えるから気軽に言って!」と言ってもらえる。

 

吃音者があえて話す授業が多い学校に入学した。

結果、うまく話せなくても、私自身の考え方や、周りの人たちの理解が感じられ、とてもいい経験になったと感じている。

 

是非読んで頂いた方々に、勇気を出してほしい。

 

カミングアウトじゃなくても、挑戦する勇気を。

 

私はいつでもあなたを支えています。大丈夫。

何かあったら話を聞きます。どれだけでも聞きます。

 

 

 

 

 

 

#6 言い換えれない時

友達との会話の中で絶対に避けて通れないのが、特定の固有名詞。人の名前や、土地の名前など言い換えれないものだ。

 

例えば、山田先生。苗字が「山田」の人には「山田」としか呼べない。他に言い換えができない。下の名前で呼ぶのも一つの方法、あだ名をつけるのも一つの方法、しかし先生にそんなことはできない。

 

どこに住んでるの?と聞かれ、大阪、と言いたい。

あ行が苦手な私にとっては答え方がわからない。

近畿、と答えても、近畿のどこ?と聞かれて結果、大阪と言わなければならないし、絶体絶命だ。

もう関西弁アピールして、聞かれないようにするしかないのだ。

 

このように言い換えれない時が1番辛い。

 

私は学生生活が今年で終わり、就活に励んでいるが、とても辛い。

ご存知の通り、社会に出るために使わなければならない言葉が沢山ある。

「御社」が言えない。志望動機や自己PRの中で企業名を言うと不自然なので、「御社」と言う言葉が使えるようになるべきであるが私にとっては難しい。

 

当事者の方にお伺いしたい。このような時はどうしているのか。どう乗り越えているのか。