R_yu’s diary

吃音者のために

#26 授業では2通りの答えを用意する

毎日のように、発言したくてもできない状況に置かれる。

発言するには、言いやすい言葉でないといけない。そう思っていた約10年間で編み出した技があった。

 

自分の実力を確認する答えと、発言用の答えを用意することだ。

 

問いに答えるには答えが必要だ。

今自分がこの問題を解けるのかどうか、まず解いてみる。それを吃らずに言えるならそれがベストだが、吃る場合が多かった。

 

そこで、発言用の答えを用意する。

先生に指名された時、みんなの前で吃りたくなかったこともあり、間違っていると知っていながら言いやすい解答を用意し、それを読む。

 

周りからは、そんなのもわからないの?と言われたりするが、本当の正解は紙に書いてあるので、

「難しかったわぁ」と言い、その場をやり過ごす。

 

適当に授業を受けているわけではない。

吃音で悩んできた私にとって、最善の授業の受け方であった。

 

 

#25 カミングアウト後 その1

吃音をカミングアウトしてから、授業が始まる。

授業担当の先生全員にもカミングアウトしたこともあり、全員が配慮をしてくれた。

 

発表や発言をする機会を減らされたわけではない。

毎回、いける?無理そうなら違う問題答えてもいいよ。と、フレキシブルに対応をしてくれた。

 

今までは沈黙の時間が続き、私自身も辛い思いをしていたが、全く違う環境になった。

 

自信はないが、自ら手を挙げて発表することも増えた。発表が終わるたびに、友達や先生が、これでもかというくらい褒めてくれる。確かに褒めるハードルは周りに比べて低いが、私にとって生きやすい環境だった。

 

自分の問題をしっかり伝えて、どうしてほしいかを明確に伝える。

伝えることにより、今までのストレスやモヤモヤがなくなることを知った。

 

カミングアウトできる環境に居て、周囲の人たちが理解してくれそうなのであれば、おすすめする。

 

#24 クラスメートへのカミングアウト

去年4月、私の吃音はひどくなっていた。

それまで1年間、クラスメートにはバレないように必死に誤魔化してきた。それも限界が来た。

 

新クラスのオリエンテーションの日。

担任の先生に、私から話す時間を3分ください、と前もって言っていた。

連絡事項が終わり、私の名前が呼ばれ、前に出る。

クラスはざわついていた。

 

私は話した。

「実は、吃音という症状があり、うまく話せません。今までは誤魔化してきたけど、もう誤魔化しきれないし、グループでの活動や授業中に迷惑がかかるかもしれないので、知っていてほしいです。お願いしたいことは、問題に答えられない時があるし、グループの発表でも少し配慮してもらうことがあるかもしれません。よろしくお願いします。」

 

全員真面目な顔をして聞いてくれた。

誰一人茶化すことはなかった。

 

その日の帰宅途中、クラスメートの一人からLINEがきた。

 

「私はちょっと違うけど、発達が遅れてて、〜

〜カミングアウトに勇気もらった。ほんまにみんなの前で言うの偉いと思った。ありがとう。」

 

私の勇気に勇気づけられる人がいることを知った。

誰も話さないだけで、同じような悩みを持っていることを知り、そのような人の力になりたいと思った。

 

カミングアウトの効果は後日。

 

 

 

#23 私が声と引き換えに得たもの

私は声を使いこなすのが苦手、そう思い込んでる。

 

周りの人と比べれば、話すことに劣る。

その分、周りの人より優れている部分がたくさんあると感じている。

 

話せないからこそ、感じれるものがある。

この人がどう思っている、や、この人が言いたいことはこういうことだろう、というものが察知できるようになっている。

 

一番優れていることは、「予測能力」だ。

これは吃音を通して得たと思う。

 

この言い方なら吃るからこう言おう。幼少期からずっと予測していた。

一文話すだけで、何通り、何十通りも言い方があるが、即時に吃らないように話せる道を見つけることができる。

スピーチともなると、何百通り、何千通りと言い方があるが、吃らない一つの道を考えずに無意識的に選べるようになった。

 

非吃音者には絶対にできない技だと思う。

急に、あ行とた行とわ行を使わずに話せと言われても無理なはずだ。

私にはできるようになった。

 

吃るからバカにされてきた。今までずっと下に見られてきた。

しかし、総合的な能力で見ると、そんな奴らは私と比べ物にならないくらい使い物にならない場合が多い。

スポーツも、思考力も、勉強も、人望も。

決して吃音者だからといって、人間として劣っているわけじゃない。

#22 高校時代 吃音のせいで登校時間が早かった話

私の通っていた学校では、8時から8時30分の間に登校する生徒が多い。

自転車、電車で来る生徒たちはみんなワイワイしながら楽しそうに登校する。

 

私は違った。

 

登校時間は7時30分。

誰もいない時間に登校し、誰もいない教室で何分も暇な時間を過ごす。

 

私は自転車登校だった。

自転車置き場には自転車を整理する先生が朝多く立っていた。

私は体育科に在籍していたので、体育科の先生に会っては自衛隊のように挨拶をしなければならない。

 

「おはようございます。」

中学校から吃らずに言えた試しがない。

さらには自分から言うなんてことは到底できなかった。返事としてならまだ言えたが。

 

先生達は自転車を整理しているのでこちらから声をかけないと気付いてもらえない。

入学当時、何回も先生の後ろで無言で声を絞り出そうと頑張ったが無理だった。そこから諦めた。

 

多くの生徒が来ない時間帯に登校することに決めた。誰よりも来るのが早かった。

おかげで朝は先生と会うことがなく、3年間やり過ごせた。

 

吃って怒られることに比べたら、朝早く来ることは苦ではなかった。

 

#21 トラウマを「嫌な記憶」ではなくどう活かすか

私が今でも話す時に不安になったりしてしまうのは、小学生の頃に植え付けられたトラウマのせいであると思う。

 

正直な話、幼少期から吃っていたとしても、周りが決してバカにせず、除け者扱いにしなければ、精神的な問題にはなっていなかったと感じる。

 

過去の話なのでもう今更どうすることもできないが、これから吃音を持って生まれてくる子供たちのために私たちは何かすることができるし、私たち自身も、これからの人生をどう生きるか、(吃音と向き合って生きるかどうか、吃音当事者としてできることをするかどうか)私たち当事者にしかできないことだってある。

 

気に障るかもしれないが、私は吃音者として堂々と生きている。どれだけ隠そうが治るものではないし、悩もうが治るどころか、しんどくなる。

 

吃音者であること。それは私の個性の1部だ。

吃音があったからこそ今の自分がいる。

 

吃音者だからこそ得ることができたものを後日詳しく書く。

#20 吃音者のはじめての留学 その3

週末になると、ファミリーとお出かけに行く。

そのホストファミリーの宗教関係上、週に一回教会に行く。私も行かなければならなかった。

30人ほどが集まり、神父の話を聞き、歌う。

話さなければならない環境以外、私にとってはなんてことはない。何時間話を聞こうが平気だった。しかし嫌な予感がしてたまらなかった。

 

最後、もう帰れると思ったその時、神父が私に向かって言った。「教会へいらっしゃい」

私は「thank you」と答えた。これで終わってくれ、と願ったのも束の間、私に話が振られた。

 

嫌な予感が的中した。

 

どこから来たの?どこの宗教を信じてる?30人もの人の前で質問攻めにされた。

英語が話せないから嫌なわけじゃない。吃音がバレるから嫌だった。

もし私が非吃音者なら、人の前で話すことに抵抗はない。むしろ、話すことが好きなので本当の自分で居られる。

 

オーストラリアの吃音に対する理解の具合はわからなかった。だからこそ怖くて言えなかった。

少なくとも日本よりかは理解があると思う。

当時、将来はオーストラリアに住みたいと思った。