R_yu’s diary

吃音者のために

#21 トラウマを「嫌な記憶」ではなくどう活かすか

私が今でも話す時に不安になったりしてしまうのは、小学生の頃に植え付けられたトラウマのせいであると思う。

 

正直な話、幼少期から吃っていたとしても、周りが決してバカにせず、除け者扱いにしなければ、精神的な問題にはなっていなかったと感じる。

 

過去の話なのでもう今更どうすることもできないが、これから吃音を持って生まれてくる子供たちのために私たちは何かすることができるし、私たち自身も、これからの人生をどう生きるか、(吃音と向き合って生きるかどうか、吃音当事者としてできることをするかどうか)私たち当事者にしかできないことだってある。

 

気に障るかもしれないが、私は吃音者として堂々と生きている。どれだけ隠そうが治るものではないし、悩もうが治るどころか、しんどくなる。

 

吃音者であること。それは私の個性の1部だ。

吃音があったからこそ今の自分がいる。

 

吃音者だからこそ得ることができたものを後日詳しく書く。