#23 私が声と引き換えに得たもの
私は声を使いこなすのが苦手、そう思い込んでる。
周りの人と比べれば、話すことに劣る。
その分、周りの人より優れている部分がたくさんあると感じている。
話せないからこそ、感じれるものがある。
この人がどう思っている、や、この人が言いたいことはこういうことだろう、というものが察知できるようになっている。
一番優れていることは、「予測能力」だ。
これは吃音を通して得たと思う。
この言い方なら吃るからこう言おう。幼少期からずっと予測していた。
一文話すだけで、何通り、何十通りも言い方があるが、即時に吃らないように話せる道を見つけることができる。
スピーチともなると、何百通り、何千通りと言い方があるが、吃らない一つの道を考えずに無意識的に選べるようになった。
非吃音者には絶対にできない技だと思う。
急に、あ行とた行とわ行を使わずに話せと言われても無理なはずだ。
私にはできるようになった。
吃るからバカにされてきた。今までずっと下に見られてきた。
しかし、総合的な能力で見ると、そんな奴らは私と比べ物にならないくらい使い物にならない場合が多い。
スポーツも、思考力も、勉強も、人望も。
決して吃音者だからといって、人間として劣っているわけじゃない。